イザッキ・ホドリゲス (Isaac Rodrigues)

投稿者: | 2024年2月29日
新規投稿 : 2024/02/29
更新履歴 : 2025/06/30

若手 逸材 ブラジルサッカー フルミネンセ ウィング

イザッキ・ホドリゲス・デ・リマ

Isaac Rodrigues de Lima

ポジション:フォワード(ウィング)/アタカンチ(ポンタ)

利き足:右

2004年4月24日生まれ

<幼少期>

 ブラジル連邦共和国北東部の小さな州、ピアウイ州の州都テレジーナに生まれる。多くのブラジルのサッカー選手の例にもれず、イザッキもまた貧しい家庭に生まれた。
 7歳の時に地元のサッカースクールに入団。

<クラブ経歴>

 9歳でフットサルを始め、15歳でヒーヴェル-PIの下部組織に入団。
 ヒーヴェル-PIは地元テレジーナに1946年に創立され、ピアウイ州選手権では最多優勝回数を誇る地元の名門クラブだが、全国選手権では現在のレギュレーションとなった2006年以降は3部や4部に所属、年によっては4部にも参入することができない、全国的には目立つことのないクラブ。
 しかし、僅かなケースではあるが、育成カテゴリーの選手がビッグクラブのスカウトの目に留まり、期限付き移籍や、セレクションを通じて入団を勝ち取る選手が存在。イザッキの兄ジーン・ホドリゲス(Gean Rodrigues, 2003)は2020年にフルミネンセU-17に期限付き移籍を果たしていた。
 (兄ジーンは、その後2022年にエスポルチU-20に入団。2023年にエスポルチトップチームからウィングとしてプロデビューを飾り、計2試合に出場。2024年は1月開催のU-20全国大会カップ戦に出場後、2月に西アジアコーカサス地方の国ジョージアで1部リーグに所属するサムグラリ・チャルトゥボへ期限付き移籍、シーズン開幕を控えている。)

≪育成時代

 イザッキが所属するヒーヴェル-PIのU-17チームは、32チームが参加したノックアウト方式(2回戦以降はホーム&アウェイ)の2020年U-17全国選手権でベスト8に進出。イザッキは3試合1ゴールを記録。
 大会終了後、監督から電話でフルミネンセのセレクションを受けるように告げられた。
 2021年2月、16歳でイザッキはフルミネンセU-17に加入。
 加入後イザッキの素質は一気に開花、5月8日に公式戦初出場を果たすと、途中交代出場を積み重ね、8月以降は先発出場の機会が一気に増え、主力メンバーとして多くの試合に出場する。
 2021年10月にフルミネンセとプロ契約を締結。
 2022年(年初17歳)、U-20チームに昇格。
 昇格一年目ながら、ほとんどが途中出場とはいえ比較的多くの出場機会が与えられる。
 フルミネンセでのキャリアは順調に進んではいたが、古郷では最愛の父がガンのために容態が悪化、クラブに暇を請い故郷に帰ったが、臨終に間に合うことができず葬儀での対面となった。この日以降、イザッキは精神的に不安定となり、サッカーに取り組む意欲が出ず、代理人にもそれを伝えた。
 母とも多くのことを話し合った。最後に「サッカーを辞めようと思う」と伝えると、母は涙ながらに「私の稼ぎだけではお前をサポートすることはできない、帰ってきてもすぐに働きに行かなくてはならないよ。神は決して叶えることのできない者にたいして夢を見させることはない。サッカーを続けなさい。」と諭した。
 母との会話を終えイザッキは家族や自分自身の状況を改めて見つめ直すと、再びサッカーに対する意欲に火がついた。自分自身の人生を変えるのは自分自身だと。家族の人生を変えるのは自分自身だと。
 イザッキはフルミネンセに戻ると、U-23チームで公式戦に先発出場し1得点を記録。2試合後にはさらに1得点。U-20コパ・ド・ブラジルでも3試合で2得点を奪うなど、復帰後はU-23、U-20チームで計8試合に出場(すべて先発)し4得点を記録した。
 2023年(年初18歳)、1月に開催されたU-20全国大会カップ戦では出場した3試合で4アシストを記録。

フルミネンセ≫

– 2023 –

 2023年1月のU-20全国大会カップ戦でチームが敗退すると、フェルナンド・ジニース(Fernando Diniz)監督のもと、トップチームへの招集を受ける。
 1月17日、リオデジャネイロ州選手権開幕節ノヴァ・イグアス戦の後半37分にピッチに送り出され、17歳9か月でのプロデビューを飾る。
 4月4日にはフルミネンセとの契約を更改。契約期間が2027年末まで延長。
 2023年4月25日、トップチームで自身3試合目の出場となるコパ・ド・ブラジル三回戦パイサンドゥ戦の2ndレグ、後半26分に交代出場を果たすと、1分後のファーストタッチとなるプレーでペナルティエリア手前からFWジョン・ケネジー(John Kennedy, 2002)にボールを預けワンツーを試みる。しかし、FWジョン・ケネジーはイザッキのフリーランニングを囮にゴールをマーク。イザッキはプロとして初めてのゴール関与、プロ初アシストを記録。
 2023年5月25日、リベルタドーレス第4節、標高3600mを越す敵地でザ・ストロンゲスト/BOL戦では、控え中心の先発メンバーながらプロとして初めてスターティングイレブンに名を連ねる。
 以降は、U-23、U-20チームでの出場が中心となるが、U-23チームでは4試合で3得点1アシスト、U-20チームでは11試合4得点をマークし、トップチームでの経験が成長に繋がっていることを印象付ける。
 10月中旬にトップチームに再合流すると全国選手権の3試合に出場。11月25日第35節コリチバ戦では64分間のプレー、出場時間も徐々に増えていく。

– 2024 –

 2024年(年初19歳)は、出場資格を持つU-20全国大会カップ戦には登録されず、トップチームの一員としてスタート。
 1月18日リオデジャネイロ州選手権開幕戦に先発出場。
 1月21日第2節ポルトゲーザRJ戦では、前半31分、GKからのロングフィードを右サイドで確保し2対2のカウンターに持ち込むと、そのままドリブルで斜めに中央へ向かい、途中から一気に縦へ進行方向を変え加速。ペナルティエリアに侵入し右足を一閃すると、ボールはゴールネットに突き刺さり、プロ初ゴールを飾る。
 1月28日第4節でも1得点を記録し、州選手権は開幕から5試合連続で先発出場を果たし2得点をマーク。
 ところが、フルミネンセは前年のリベルタドーレス覇者で、主力選手の流出がほとんどなく、更なる補強で選手層の厚みを増しており、州選手権第6節以降はイザッキの出場機会はほとんど訪れない。
 試合終了間際の途中交代出場でいくつかの試合に起用され続けるが、シーズン中盤の補強の煽りを受け、8月に活躍の舞台はU-20、U-23チームへと移行する。シーズン最終盤にトップチームに再合流するが、この時も出場時間は僅か2試合19分の出場に止まる。

アトレチコ・パラナエンセ≫

– 2025 –

 2025年1月13日、アトレチコ・パラナエンセがイザッキ・ホドリゲスの獲得を発表。契約期限は2027年末、移籍金は非公表。
 2025年を全国選手権2部で戦うアトレチコ・パラナエンセが、ウルグアイ代表FWカノービオ(Canobbio, 1998)、FWクエージョ(Cuello, 2000)のスピード豊かなサイドアタッカーの退団を受け、FWイザッキ・ホドリゲスに白羽の矢が立てた形となる。
 マウリシオ・バルビエリ(Mauricio Barbieri)新監督のもと、イザッキは1月18日パラナ州選手権開幕節にて後半14分にピッチに送り出されクラブデビュー。
 1月25日第5節クラシコとなるコリチバ戦(A)にてクラブでの初スタメンに抜擢。
 その後、チーム戦術の4‐3‐3や4-4-2の試行錯誤が続く中、州選手権は決勝ラウンドに入り途中交代での出場が続き、2025年4月4日全国選手権2部開幕後も状況は大きく変わらない。
 5月24日第9節アスレチック-MG戦(H)、全国選手権2部での3試合目のスタメンに抜擢されるが、前半33分、相手選手との接触により右膝を強打し負傷退場。試合後に完治まで3~4週間との診断を受けるが、2025年6月30日現在、ベンチ入りは果たされていない。

≪シーズン別クラブ出場記録≫

シーズン所属大会試合出場
時間
得点アシ
スト
2023年(19歳)フルミネンセリベルタドーレス16200
全国選手権712600
コパ・ド・ブラジル22201
州選手権22200
 合計1223201
2024年(20歳)フルミネンセリベルタドーレス1100
全国選手権716400
コパ・ド・ブラジル2600
州選手権644720
 合計1661820
2025年(21歳)アトレチコ・パラナエンセ全国選手権2部829700
コパ・ド・ブラジル415801
州選手権1155500
 合計23101001
イタリック斜体は、2025年6月30日現在の記録。
※ シーズン欄の年齢は、12月31日時点の年齢です。

<代表経歴>

N/A

<プレースタイル、エピソード、雑感 etc.>

 利き足は右。
 身長170㎝前後、体重60㎏前後。(不確実情報)
 ポジションは、左ウィングを中心に、右ウィングやセンターフォワード、セカンドトップ。
 特長の一つはドリブル。ボールを受ける際のワンタッチ目でマークにつくディフェンダーをはがし、瞬発的なスピードでディフェンダーを置き去りにする。複数のマークに対してもドリブルで打開することも。
 スピードはスプリント的な速さは感じられず、大きく蹴り込まれたボールに対しディフェンダーと競走になるような場面はほとんど見られないが、ドリブルでの切り返しや、その後の一歩目のスピードと二歩目以降の加速力で相手を置き去りにする瞬発的な速さが特徴。
 左サイドから中央へ切れ込み右足から繰り出されるシュートや、ペナルティエリア角からの巻き込むシュート、縦にボールを運びゴールライン際から左足で送るクロス、ボックス内でのワンツーやドリブルでの仕掛けなど、危険な地域でのプレーのバリエーションが多い。
 ディフェンス面での強度は印象に強くないが、相手ボール保持者を挟み込む形でマークに行き相手がコントロールを失ったボールを奪い去るシーンや、パスコースを限定して不用意に出されたパスをカットするシーンはしばしば見られる。

 2023年11月にはリベルタドーレス優勝後の5日間の特別休暇期間を利用して優勝メダルを胸にサプライズで帰郷。家族を驚かせるとともに、昔通った小中学校へ訪問し、当時を懐かしみ、先生方へ感謝の意を伝え、在学生との交流を楽しんだ。
 冒頭に記載したとおり、ブラジルでは依然としてプロサッカー選手を夢見る選手は貧しい家庭に生まれ育つケースが多い。そして、プロサッカー選手になる少年の夢は、ビッグクラブ育成カテゴリーへの加入といった手ごたえが感じられるようになると、家族にとっての一縷の希望となる。しかし、その重圧に圧し潰され、夢を断念する選手や、プロに至ったものの自らの素質を開花させることができずスパイクを脱ぐ選手も少なくはない。
 イザッキの今後のサッカー人生にも、監督に評価されず試合から遠ざかる時期や、大ケガで長期に渡り戦列を離れるなどの逆境が訪れることもあるだろう。そしてその時には、上手くいかないことへの焦りや、大きな重圧に圧し潰されそうになるかも知れない。しかし、周りの人々への感謝の気持ちを持ち続け、父の逝去という苦難から逃げそうになりながらも直視した勇気があれば、これからも必ず困難に打ち克つことができるはず。

 2023年にイザッキをトップチームに招集したフェルナンド・ジニース監督は、2024年に入りイザッキを積極的に試合に起用。
 2月4日州選手権第5節、0-0に終えたボアヴィスタ-RJ戦の試合後に監督は、「イザッキは、最近メキメキ頭角を現しているね。今日の試合は、ゴールこそ奪えなかったものの、これまでで一番の内容じゃないかな。クロスやフィニッシュの最後のところでもう少し精度を上げられていれば、決定的な仕事をしていたと思うよ。」と話した。
 そして、最後にこう付け加えた。
 「イザッキは申し分ない才能を秘めている。身体的な強さもあり、技術的な基礎もしっかりしている。フルミネンセが磨き上げていかなければならない宝の原石だよ。」

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