アルトゥール・ジアス (Arthur Dias)

投稿者: | 2025年9月11日
新規投稿 : 2025/09/11
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アルトゥール・ジアス ブラジル 若手 逸材 センターバック 2007年生まれ アトレチコ・パラナエンセ

アルトゥール・ドス・サントス・バルボーザ・ジアス

Arthur dos Santos Barbosa Dias

ポジション:センターバック/ザゲイロ

利き足:両足

2007年4月10日生まれ

<幼少期>

 ブラジル連邦共和国の中西部に位置するマット・グロッソ・ド・スル州のに州都カンポ・グランデ(Campo Grande)に生まれる。
 カンポ・グランデでは、チェルシー・ブラジル‐MSというサッカースクールに通った。

<クラブ経歴>

≪育成時代

 2022年(年初14歳)にアトレチコ・パラナエンセU-15チームにセンターフォワードとして入団。しかし、潜在力を買われて入団したものの期待に応えるだけの成長を示すことができず、U-17チームへの昇格は見送られようとしていた。
 当時U-15チームの監督を務めていたホドリゴ・ベロン(Rodrigo Bellão)氏はアルトゥールの守備面の才能を見出しポジションの転向を提案した。アルトゥールにとっては受け入れがたい提案だったが渋々了承、センターフォワードからウイング、サイドバック、そして、センターバックへと段階を経ていた。ところが、センターバックでのプレーを試し始めた頃、アルトゥールは監督に退団の意志を伝える。ベロン監督はアルトゥールと二人きりで膝を突き合わせて何時間も話し合った。その時の会話を思い出しアルトゥールは「あの日が僕のサッカー人生の大きな分岐点になった」と話している。
 2023年(年初15歳)に入り、無事にU-17チームに昇格。そして、昇格一年目からセンターバックとしてポジションを獲得した。
 3月に開幕したU-17コパ・ド・ブラジルは二回戦から決勝戦までの7試合に出場。6月18日決勝パウメイラス戦こそ敗れはしたものの、同大会でのアルトゥールのプレーが同カテゴリーで広く知れ渡る。
 さらに、U-17全国選手権での10チームによる一回戦総当たりのグループラウンドにてチームはグループ最少失点を記録、アルトゥールの評価がさらに高まった。
 そして、2023年9月17日、11月に開幕するU-17W杯に照準を定めたU-17代表合宿(9月26日~10月7日)に自身初の世代別代表として招集を受ける(本大会は選出外)。
 2024年(年初16歳)は年明けからメキシコ代表監督として2018年W杯でチームを決勝ラウンドに導いたフアン・カルロス・オソーリオ(Juan Carlos Osorio)が率いるトップチームに合流。出場機会は訪れなかったが、2月10日州選手権第8節にはベンチ入りを果たした。
 2月28日にU-17州選手権、3月2日にU-20州選手権が開幕すると、それぞれに先発出場。しかし、U-20州選手権開幕節の試合後にケガが見つかり2か月間ピッチから遠ざかる。
 5月の復帰直後はU-17チームで複数の試合に出場するが、その後、6月10日にU-20チームに昇格。間もなくレギュラーの座を掴み、U-20全国選手権を中心に試合を重ねていく。
 8月17日にはU-20ブラジル代表に選出され、9月5日、8日に開催されたU-20メキシコ代表との国際親善試合の連戦にスタメンフル出場。
 9月20日発表、10月25日発表のU-20ブラジル代表にも連続して招集を受ける。
 9月以降はトップチームのトレーニングにも度々合流し、出場機会こそ訪れなかったものの全国選手権の3試合にベンチ入りを果たす。また、トップチームの2部降格を受け、クラブはチーム編成を若手主体へと切り替える方針を打ち出し、アルトゥール・ジアスの2025年のトップチーム昇格が内定した。

アトレチコ・パラナエンセ≫

– 2025 –

 2025年(年初17歳)1月14日にU-20南米ユース選手権代表への追加招集が発表。チームを離脱する。
 U-20南米ユース選手権優勝を手土産にチームに復帰すると、すぐさまトップチームに合流。しかし、左CBとしての序列は3番手に甘んじ、また、練習中のケガなどもあり、ベンチ入りは果たすものの出場機会は訪れない。
 7月21日に8月U-20代表合宿への招集が発表されると、その直後の試合となる2025年7月27日全国選手権2部第19節アメリカ・ミネイロ戦(A)にベンチ入り。そして、後半19分、左SBとしてピッチに送り出されプロデビューを飾る。しかし、2-1のリードで迎えた後半45+4分、相手左サイドからのクロスボールの競り合いで相手FW選手の背中を押しPKを与えてしまいチームは勝ち点2を落とす結果に。18歳のアルトゥールにとって苦過ぎるデビュー戦となった。
 U-20代表合宿から戻りチームに合流すると、復帰後初戦となる8月16日全国選手権2部第22節クイアバ戦(H、△1‐1)にて左CBとしてプロ初のスタメンに抜擢。
 23日第23節CRB戦(A、〇1‐0)、27日コパ・ド・ブラジル‐コリンチャンス戦2ndレグ(H、✕0-1)、30日第24節グレミオ・ノヴォリゾンチーノ戦(H、〇2‐1)と連戦に左SBとしてスタメン出場を果たす。
 30日グレミオ・ノヴォリゾンチーノ戦はケガのため途中交代を余儀なくされ、その後の公式戦2試合はベンチ外となっている。
 しかし、アルトゥールが先発した全国選手権2部の3試合は2勝1分の成績。アトレチコ・パラナエンセは開幕前こそ昇格候補の一番手に挙げられていたがアルトゥールが抜擢される直前の第21節終了時点で13位に苦しんでいたが、2025年9月11日現在、アトレチコ・パラナエンセは昇格圏までの勝点差が「5」の8位まで順位を上げており、アルトゥールの起用がチームに好循環をもたらした形となっている。

≪シーズン別クラブ出場記録≫

シーズン所属大会試合出場
時間
得点アシ
スト
2025年(18歳)アトレチコ・パラナエンセ全国選手権2部427300
コパ・ド・ブラジル19000
 合計536300
イタリック斜体は、2025年9月11日現在の記録。
※ シーズン欄の年齢は、12月31日時点の年齢です。

<代表(世代別含む)経歴>

– 2023 –

 2023年9月17日、11月に開幕するU-17W杯に照準を定めたU-17代表合宿(9月26日~10月7日)に招集。本大会への選出は見送られたが、自身初の世代別代表招集となった。

– 2024 –

 2024年8月17日には、9月5日、8日に開催される北中米カリブ海U-20王者メキシコ代表との国際親善試合に向けたU-20ブラジル代表に選出。2005年が主体となるチームにおいて2007年生まれのアルトゥールは両試合(初戦〇2‐1、第2戦〇3‐2)でスタメン出場。
   関連記事 : [2024.08.17発表]<ブラジルU-20代表招集>
 9月20日に発表された10月7日~15日開催のU-20代表合宿にも招集23選手の一人として選出。
   関連記事 : [2024.09.20発表]<ブラジルU-20代表招集>
 10月25日に発表された11月11日~19日開催のU-20代表合宿への招集23選手の一人として選出。
   関連記事 : [2024.10.25発表]<ブラジルU-20代表招集>

– 2025 –

<2025U-20南米ユース選手権>
 2025年1月14日、10日後の1月24日に初戦を迎えるU-20南米ユース選手権代表への追加招集が発表される。
★予選ラウンド
 1月24日第1節アルゼンチン戦(✕0‐6) : フル出場(左センターバック)
 1月26日第2節ボリビア戦(〇2‐1) : フル出場(左センターバック)
 1月30日第4節エクアドル戦(〇3‐2) : フル出場(左サイドバック)
 2月1日第5節コロンビア戦(✕0‐1) : フル出場(左サイドバック)
★決勝ラウンド
 2月4日第1節ウルグアイ戦(〇1‐0) : 先発57分出場(左サイドバック)、42分&57分警告→退場
 2月7日第2節コロンビア戦(〇1‐0) : 出場停止
 2月10日第3節パラグアイ戦(〇3‐1) : 先発45分出場(右サイドバック)、負傷交代
 2月13日第4節アルゼンチン戦(△1‐1) : 途中交代6分出場(右サイドバック)
 2月16日第5節チリ戦(〇3‐0) : フル出場(左サイドバック)
 ブラジル代表は、1月24日の初戦アルゼンチンにて立ち上がりから相手の高いプレスに苦しみ前半15分で早くも3失点。後半も立ち上がり10分で2失点を喫し最終的に0‐6の完敗。
 第2節ボリビア戦は勝利を収めたものの左サイドが攻守に機能しなかった。
 そこでハモン・メネゼス(Ramon Menezes)監督は守備面の安定性を高めるため、試合のない第3節を利用しトレーニングでアルトゥールの左SBを試し良い感触を得た。
 アルトゥールは、第4節エクアドル戦で左SBとしてスタメンを任されると、チームは3‐0で迎えた後半30分に以降に2失点を喫するが3‐2の勝利。
 第5節コロンビア戦もまた左SBとしてスタメンに起用されると、CBの特性を活かし6度のボール奪取や2度のインターセプト、高いパス成功率を記録するなど、急造SBとは思えない活躍をみせた。
 決勝ラウンドに入ってからは、初戦での2度の警告による退場や、右サイドバックとして出場した第3節パラグアイ戦での負傷交代など、満足のいく内容ではなかったものの、勝てば優勝が決まる第5節チリ戦では再び左サイドバックとして守備面に安定感をもたらし、チームは3‐0の勝利。アルトゥールは本来のポジションとは異なるサイドバックとしてブラジル代表の優勝に大きく貢献した。

 2025年5月26日、6月上旬のエジプト、サウジアラビア、韓国とのU-20国際親善大会に向けた代表への招集が発表。しかし、同大会はケガのため辞退。
 2025年7月21日、8月8日、11日に開催される国際親善試合U-20パラグアイ代表戦に向けた代表への招集が発表。
8日の初戦(〇2‐0)は左CBとしてフル出場。11日の第2戦(〇2‐1)は詳細は不明だが、背番号「4」のユニフォーム着て相棒CBブルーノ・アウヴェス(Bruno Alves, 2005)のゴールを祝う姿が確認できる。
 2025年8月26日、9月1日~9日に開催されるU-20代表合宿に向けた招集選手が発表されたが、そこにはアルトゥール・ジアスの名前はなかった。アトレチコ・パラナエンセのチーム事情によるものと推測される。

<プレースタイル、エピソード、雑感 etc.>

 利き足は両足。
 身長186㎝、体重82kg(「ESPN Brasil)」2025年9月11日参照)。2025年9月現在で18歳だが、トップチームの試合において身体的な見劣りはない。
 主なポジションは左CB。右CBや左右のSBとしても十分に対応可。
 「Sofascore」によると、2025年9月11日現在、出場した全国選手権2部4試合での主な成績(1試合平均値)は以下の通り。
 デュエル勝利:3.3(62%)、空中戦勝利:2.3(75%)
 インターセプト:1.0、ボール奪取:0.8、パスカット:3.8
 PK献上:通算1回、シュートに持ち込まれたミス&ゴールに繋げられたミス:通算0回
 カード:通算0枚
 プロデビュー戦でこそ、実質的に最後のプレーとなる相手FKからPA内で老獪な相手FW選手の背中を押して倒してしまい、同点に追いつかれるPKを献上してしまったが、判断に躊躇のない積極的な前への飛び出しや、周囲と連係したリトリートなど、トップチームでも守備面での大きな綻びはない。
 また、トップチームやU-20南米ユース選手権では、戦術的に守備面に重点を置いたプレーが続いているが、2025年U-20南米ユース選手権後の世代別代表では、左右の足を巧みに使ったビルドアップを担っており、足元の精度の高さも持ち合わせている。

 センターフォワードとしてアトレチコ・パラナエンセ下部組織に入団したものの同ポジションでキャリアを積み上げることができずセンターバックへ転向。しかし、転向後一年も経ず、2023年に世代別代表(2007年主体のU-17)へ招集を受け、翌2024年には2005年生まれが主体となるU-20代表チームに招集されるようになり、2025年にはU-20南米ユース選手権の8試合に出場。
 そのU-20南米ユース選手権では初戦で左サイドを中心にチームの守備が崩壊した中、3戦目以降から急造のサイドバックとして出場。高さと強靭な身体、的確なポジショニングで守備に安定感をもたらし、U-20ブラジル代表の同大会優勝に大きく貢献した。
 さらにはアトレチコ・パラナエンセでも、デビュー戦こそ苦い経験をしたが、ミスの少ない安定したプレーでチームにいい風を送り込んでいる。
 センターバックとしてのキャリアは3年にも満たないが、的確なポジショニングやファールの少ないプレースタイル、急造のサイドバックでもしっかりと対応できるサッカーIQの高さなど、伸びしろはまだまだ大きい。そして、その無限に広がる将来性を期待せずにはいられない。
 

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